野々市Pの覚書

稀に更新する(かもしれない)ブログ

自分と友人Pとアイマスの話

 初めまして、野々市といいます。

 ふと思ったことがあるため、ブログを開設して書き留めておきたいと思います。内容はタイトルにもある通り、友人Pとアイマスを絡めた話になります。

簡単に自己紹介。

☆自分

  • アイマス歴はPとしては約4年、ファンとしては10年?
  • メインに置いているコンテンツはSideM(モバMの方)。その他アイマスコンテンツについてはまったり勢。担当は秋月涼、卯月巻緒、岡村直央
  • ゲーム以外だとニコ動でニコマスPもやってる
  • 最近はライブ参加も積極的にやっている

☆友人P

  • P歴11年目。中学時代からアイマスに手を付けていた
  • メインに置いているのは765AS。個人のPというよりはDD勢
  • ライブ参加は2017年までなし
  • 中学からの友人、高校までは同じ学校

さて本題。時系列で分けて書いて行きます。

 

1. 自分、アイマスという存在を少し知る

 2008年頃、友人と会話しているときに何故かアイマスの話題が出ました。具体的にどんな話をしていたかは覚えていませんが、確かアイマスにハマったというような話だったと思う。当時の友人PはYoutubeかニコ動にあったアイマスの動画から何かティンとくるものを掴んだようで、当時中学生ながらXBOXと無印アイマスを買ってプレイしていたようです。自身はまだその時は二次元のヲタクコンテンツに対して全く無関心だったこともあり、「ふーん」ぐらいの思いしかなかったです。とりあえず中学までは、友人Pがアイマスというものが好きぐらいしか知りませんでした。

 それからお互いが同じ高校に進学して、仲も今までと同様に過ごしていました。ある時、友人Pとカラオケに行くことになりそこで彼がアイマス楽曲縛りで歌っていました。歌っているアイドルをイメージしてトーンを変えたり、ダンスのフリを入れながら歌っていて、まるで何も知らない自分に対してアイマスにはこういうのがあるんだと教えられているように見えました。その時「へぇ、アイマスってきっとギャルゲーなんだろうけど楽曲はいいな」という感情を抱き、「楽曲」だけは少し興味を持ちました。自分が一番最初に覚えたのが星井美希如月千早による「relations」という楽曲であり、気が付いたらカラオケでデュエットを始めていました。ちなみに、楽曲こそ布教されたもののゲームに関して言えば相変わらず無知の状態が続いていました。

 それからも彼とカラオケに行くたびに楽曲に対するレパートリーだけは増えていきました。友人P曰く「楽曲だけでも良いと言ってくれて嬉しい」と呟いていましたが、当時から自分をアイマスの沼に入れようとしたようです。ただ、友人Pは曲以外のダイマをすることもあまりなければ、自身がアイマスをもっと知りたいと思う気も当時はなかったので、まだ楽曲しか知らないちょっとしたファン(?)の領域を脱することはありませんでした。

 

2.自分、ファンからPに転換する

 高校卒業後、自分が関東の大学へ進学すると同時に地元に残る友人Pとは少し疎遠になりました。とは言え、帰省して彼と遊ぶごとにカラオケに行くことは相変わらずだったため、あまり関係は変わらなかったです。

 さて、自分にとっての一つの転換期がここで来ました。2013年にふとニコニコ動画で思しそうな動画を探していたところ、ショートアニメとして放送されていた「ぷちます!」にハマってしまいます。これが面白くてもっとアイマスを知ってみようとなり、毎日ニコ動でアイマス関連の動画を見始めるようにもなりました。ゲームの動画としてのノーマルPVやコミュ紹介、二次創作である架空戦記や旅m@sなど、あらゆるものに手を付けてながら楽しんでいました。これを聞いた友人Pはもちろん喜んでくれたようで、どのアイマスの沼へ突き落そうかと再考したそうです。ただ、自分自身にとって女の子を扱うということに大きな壁があったため、自らが進んで手を出すことに抵抗感がありました。そのため、彼に「女装アイドルの秋月涼や、ライバルキャラクターであるJupiterなどの男性アイドルを使用できるようになったらやる」と常に言っていました。なお、ゲームを一切やらないままニコマスPにもなりました。何でだよ…

 2014年、更なる転換期が来ました。2月に行われたMoIWでついに男性アイドルをプロデュースできる「アイドルマスターSideM」のリリースが決定したのです。やっと男性アイドルを使えるということでPになりました。SideMを経由して本当にPになったことに対して本気で驚いたそうです。

 それからは1年ほどはSideMのみに取り組んでいました。最初は課金なんて…とか思っていた頃もありましたが、開始後数か月で来た初の担当上位イベントで10万円を飛ばしたのはいい思い出です。ゲームが上手く軌道に乗りだし、初めてのCDが発売され始めた頃には時間と心に余裕ができて他のアイマスコンテンツにも手を付けだせるようになりました。

 

3.自分、友人Pのアイマス熱を再燃させる

 2015年、友人Pは自衛官に就職し自分は大学院生になりました。友人Pはそれからなかなか自分の時間が取れず、アイマスにも触れられる機会が激減してしまったそうです。そのせいか、ずっと昔から追い続けてきたアイマスに対する熱量も減っており、引退までとは言わなくとも隠居状態に近い形になっていたそうです(ただし、デレステには打ち込んでいた模様)。一方で自分は関東にいることを機にライブに参戦したりP同士のオフに参加したりと、個人としてではなく仲間を集めてさらに活動するようになりました。こういった報告を友人Pにする度に、楽しんでいて羨ましいと感じていたそうです。

 2017年、自分は就職して地元に帰り、友人は転職して時間を作れるようになっていました。この頃になって月1ぐらいのペースでまた友人と遊びだすようになり、その中で彼にとっての転機が訪れました。実は友人Pはまだライブ未経験だったので、台湾で行われた765とミリオンの合同ライブのLVに連れて行きました。友人P、高校時代はアイマスライブに参戦したいと思ってはいても地方民で金もない中では諦めざるを得ない状況であり、それがいつまでも続いてLVでも行かない状態のまま過ごしていました。そんな中で自分が誘った台湾で気持ちが180°方向転換し、彼の心に火を再燃させたのは我ながらいい仕事をしたと考えています。彼曰く「最初に引き込まれた千早の蒼い鳥を当ゲームと同じ内容で見れたのは本当によかったし、何もかもが最高だった。誘ってくれてありがとう」と。このライブは彼が本気で応援してきた765ASがいるからこそ価値があったし、10年前に叶わなかった夢にもう一度手を伸ばそうとする友人Pのこれからを楽しみに思いました。

 その後、友人Pは今まで停滞していた分を取り戻すかのようにまたアイマスに再燃し、ライブは時間がある限りLVで参加や、途中で集めることを止めていたCDをまた集めるように。また、自分がライブの円盤を購入しては彼にどんどんと見せて行き、いつか大きなライブに現地で参加するという彼に目標ができたそうです。

 さらに1年後、友人Pは自力でミリオン5thの現地チケットを獲得でき、共に現地に乗り込むことになりました。彼が現地に行くことは前年のデレ5thから2回目になるものの、遠征して収容人数1万人超の大きな箱で見るライブはここが初めてだったため、ここでの気合の入り方は前と全然違っていました。自分が元々現地推ししてPとの交流を沢山していることに刺激されていたからだそうです。もちろん、ライブそのものも横で彼を見るたびにこれまでに見たことのないような楽しい顔をしていて、心の底からライブを、アイマスを楽しんでいました。ライブ前の交流から、終わってから分かれるまでのやりきった彼を見てこっちも幸せになりました。

 

4.自分と彼の今後について

 アイマスを通じて友人Pとの関係が本格的につながりだしたのは去年からで、一緒に楽しめている期間はまだまだ短いです。これからもアイマスのさまざまなコンテンツを共に楽しんでいけたらと思っています。幸い、8月に開催される765ASのPミーティングに二人で参加できるようになったため、次はその時を楽しみに待っていようと思います。いつか、自分が本気で応援しているSideMのライブにも連れて行こうとは考えているし、少なくとも、俺より先に引退は絶対させないので覚悟しておけよ…

 

以上になります。読みにくい文章だったかもしれませんが、最後まで見てくださりありがとうございました。